藤本敏夫
藤田さんのパートナーで、共に大地を守る会を創業した一人に、藤本敏夫さんという方がいます。同志社大学で学生運動の指導者となった後、1972年の防衛庁襲撃事件で逮捕、投獄中に現在は歌手となり、自身も活動家であった加藤登紀子さんと獄中結婚されます。その後、藤田さんと大地を守る会を設立し、最近まで会長をされていました。2002年死去。
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記事によると、そのお医者さまは終戦後シベリアに抑留されて、ようやく帰国して日本のある港に降り立ったとたん、いきなり真っ白な粉を頭からかけられたんそうです。その粉は戦争中に目にした毒ガスの原材料と同じものでした。呆然とした彼は日本中を転々と歩き周り、その途上で、田んぼや畑に同じ粉が大量にまかれている姿を目にしました。
その粉が、農薬です。自分たちが食べるものが毒ガスの原材料と同じものを使われて作られているとは。この野菜を毎日食べ続けたら、きっとよくわからない病気が発生して苦しむ人々が増えるに違いない。ぼくは医者なんだから、そういう病気が発生したときに人々を助けられる人になろう。そう決心して水戸に帰り、病院を開業して働く傍らで、近隣の農家の人たちに農薬を使わないで野菜を作る方法を伝え続けました。 |
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自分の原点に立ち返りふるさとへと戻って、自分ができることから始めたこのお医者さまの姿は、その時の藤田さんと重なるものがあったのでしょう。取材のつもりで会いに行ったこのお医者さまの話に藤田さんは深く感銘を受けました。
同時に、無農薬野菜を作っている農家の人たちが、「農薬を使うと見た目は綺麗で味は薄いキャベツができる。農薬を使わないとキャベツの葉っぱに穴はあくけど本当に美味しいキャベツができる。だけど、葉っぱに穴があいているものはどうしたって売れない」と言う声を耳にしました。彼らの声を実際に聴き、その野菜を口にした藤田さんは、どうしてもこの野菜を売りたい!心の底からそう想い、自分がその結び手になることを決心したのでした。 |