携帯電話があるから、いつでも誰とでも会話ができます。暮らしていくためにこれらのモノを消費するときに、紙のお金さえ必要ありません。目に見えないお金、電子貨幣で全てのものが手に入ります。気がつけば、手塚治虫が描いた、機械が作っている世界は、いまわたしたちが生きている世界です。
ゆっくり判断する間もなく、簡略化された選択のなか暮らしていると、身の回りはもうお腹いっぱい、というほどモノに満たされていくのに、こころにぽっかり穴があいてしまったような気になります。機械が作った世界は綿密な計算で仕組まれ、よっぽどのことがない限り狂うことはなく、ガスコンロの火のようにまったく同じ姿でわたしたちを守ってくれます。
そうこうしているうちに、紅葉の渓谷や、欠けていく姿が美しい器、わずかな間しか見られない蛍の光など、姿を変えるから美しいものを、美しいと感じる力をこころが失ってしまいそうです。そればかりか、そんなこころでは、この便利な世界は永遠に形を変えないものかのように、錯覚を起こしてしまうかもしれません。