10年目のキャンドルナイト
「終わり」からの「始まり」
「でんきを消して、スローな夜を。」と呼びかけてきた市民運動「100万人のキャンドルナイト」は、2012年に10周年を迎えました。と同時に、呼びかけをしてきた事務局では、ここで「終わり」というひとつの選択を行いました。しかし、「終わり」とはあくまでひとつの区切り。それぞれの人がそれぞれの方法で行うキャンドルナイトに終わりはなく、むしろここから新たなステージが始まると言えるでしょう。「終わり」からの「始まり」は何を意味するのか、これまでの歩みを振り返りながら考えてみたいと思います。
さまざまに広がった
この10年の歩み
2012年6月、原宿にてキャンドルナイトの映画製作発表とともに、「これからの生き方のヒントを探すトークショー」が行われました。5人のキャンドルナイト呼びかけ人代表が集まった夜、10年間を振り返りながらのトークが繰り広げられました。みんなが一斉に電気を消しても「電気を消すことの意味は問わない」。多様性があるけれど「ほどよい特別感、共在感がある」など、いくつもの貴重なキーワードが出されました。
夏至と冬至の夜、2時間電気を消そうと呼びかける「100万人のキャンドルナイト」がスタートしたのは2003年。遡ること2001年、アメリカではブッシュ大統領が「1カ月に1基ずつ原子力発電を建設する」という政策を発表し、カナダではそれに反対した「自主停電運動」が行われました。
この運動をヒントに、日本でもやってみようと言いだしたのが、明治学院大学教授の辻信一さんでした。環境NGO「ナマケモノ倶楽部」を作り、またカフェスローを経営し、そこで行ったのが暗闇カフェです。それに賛同した有機食材の宅配を行う「大地を守る会」代表の藤田和芳さんが、会員を中心にキャンドルプロジェクトを実施しました。さらにサステナ代表のマエキタミヤコさん、京都造形芸術大学教授の竹村真一さん、ジャパン・フォー・サステナビリティ代表の枝廣淳子さんが加わり、この5人が呼びかけ人代表となって、「100万人のキャンドルナイト」がスタートしました。
それは、何かに対して反対を叫ぶ運動ではなく、ただ「でんきを消してスローな夜を」それぞれが過ごすこと。キャンドルの灯りの元で家族と語らったり、子どもに本を読んであげたりすることで、日常では見えなかったことが見えてくるかもしれません。
NGO発の呼びかけに環境省が後援し、初めてのことながらもこのムーブメントは日本全国に広がりました。この年の6月22日には全国約2,300カ所の施設が消灯し、約500万人が消灯に参加したとされています。
翌年から環境省は後援でなく連携という形でより強く結びつき、企業の参加も増え、各地でのイベントも多く開催されるようになりました。
2005年には東京タワー、大阪城など、全国22,716カ所の主要施設が消灯し、やがて、アジア、アメリカ、ヨーロッパなど海外にも広がっていきました。
2008年には、主要国首脳会議「洞爺湖サミット」開催により、環境問題がよりクローズアップされ、キャンドルナイトも夏至の6月21日からサミット開催の7月7日七夕まで期間が延長されました。
また、インターネット上に浮かび上がる世界地図上にメッセージが入れられる「キャンドルスケープ」が作られ、人々のつながりに大きな役割を果たしました。地図上に示されるメッセージによって、参加者は同時間に世界中の人と思いを共有できるのです。
3.11東日本大震災が
私たちに教えたこと
2011年3月11日、東北地方でマグニチュード9.0という巨大地震が起こりました。日本周辺での観測史上最大の地震で、宮城県では震度7を記録し、その後の大津波で太平洋沿岸部に壊滅的な被害をもたらしました。そして、津波に襲われた福島第一原子力発電所ではこれまで想定されていなかったような重大な原発事故が起きてしまいました。
日本中が震撼し、その余波はさまざまに及び、不安な日々が続きました。ずっと右肩上がりの経済成長をしてきた私たちの暮らしの中で、本当に大切なことは何だったのでしょう?突然逝ってしまった多くの人々、今なお不便な生活を強いられている被災地の人たち、計画停電、節電、改めて問われた原発の有無など、無数の課題が目の前に突き付けられたようでした。
これまでキャンドルナイトが行ってきた「でんきを消して、スローな夜を。」という意味を改めて思い起こす機会ともなり、震災から1年目にあたる2012年3月11日にも、全世界にキャンドルナイトを呼びかけようと多くの人が集まりました。エネルギー問題や脱原発を考えたり、日本の農業や食べものへの思いを馳せたり、幸せってなんだろうと考えたり、意味は決してひとつに限定されるものではありませんでしたが、「100万人いれば、100万通りのキャンドルナイトがあっていい」と、つねに発信してきたことを再確認するような日となりました。
呼びかけ人代表や事務局では、これまでのプラットフォームとしての役割は既に終えたのでは、という意見が出され始めました。手放すことで、後は一人ひとりが自由にキャンドルナイトを行い、さらに進化していくのでは、という考えからです。
自発性と多様性と一体感
2012年6月のトークショーから、改めて呼びかけ人代表の言葉をひろってみたいと思います。
辻「キャンドルナイトは、自分自身を変えるきっかけとなり、本当にいい道だったと思う。そこには美意識があって、もっともっといい社会が作れるんではないかと考え、だから楽しいことだったのです」
藤田「電気を消すことの目的は言わないというところで、自分も変わっていった。メンバーは多様性があって、意見の違いもこれは面白いと思うようにする訓練にもなりました。キャンドルナイトはどんな人も参加できる可能性を秘めた運動です」
マエキタ「キャンドルナイトは、自発性と多様性と一体感です。みんなで一斉に電気を消すという同時代性を感じるところ。ここは呼びかけだけで10年たって育ったという感じです」
竹村「キャンドルナイトは人々をクリエイティブにします。今までありそうでなかったことをここがプラットフォームとして誘(いざな)ってきた。キャンドルスケープでは、同じ時間をこんなに多様に過ごしているというほどよい特別感、共在感がありました」
枝廣「この場では多数決を取らず、とことん話し合ってきました。外にどれだけ広がっているかではなく、楽しいから集まり、個性を生かし、他の人をリスペクトし、何が本当に大事かということを」
呼びかけ人自身が違いを面白がり、個性や多様性を受け入れてきたように、社会でも同じように、多くの人たちが個性や多様性を楽しんできたのではないでしょうか。ある目的を押しつけることなく、ただ電気を消すという共通点だけを大事にしたからこそ、みんなが自由なスタイルで参加し、広がっていったのでしょう。
現在は、10周年を機に1000000人でつくる映画「100万人のキャンドルナイト」の製作が進められています。そして、呼びかけ人によるプラットフォームとしての役割をひと区切りつけたあとは、それぞれの人がそれぞれに楽しんでいくキャンドルナイトが、さらに進化していく様子を楽しみに見守り続けていきたいと思っています。
文・大野多恵子(JFS スタッフライター)