辻先生の『どんな文化も、元来の定義としては、エコロジカル。環境運動とは文化運動。それがキャンドルナイト。』という考え方に、持続可能な社会には、持続可能な文化が存在していくのだなと感じました。最後に、辻さんにお薦め本を聴いたところ、『「ゆっくり」でいいんだよ』(ちくまプリマー新書)を推薦していただきました。私も、新しい文化を創っていくカルチャー・クリエィティブの一員としてぜひ読んでみたいと思います。みなさんもぜひ、冬至のキャンドルナイトに向けてぜひ読んでみて下さいね。
Q. 環境=文化運動は、キャンドルナイトがはじめてなのですか。
「キャンドルナイトがはじめてというわけではないです。学生たちや友人たちと1999年にNGOナマケモノ倶楽部をつくった時から、環境=文化運動、という言い方をしてきました。水筒を持つ、マイ箸を持つ、生ゴミをコンポストに入れる、暮らしに農を取り入れる、裸足になる、みんな環境=文化運動です。つまり、環境問題は単に技術や科学の問題ではないということ。僕らは"新しい文化"を創ろうとしているんだと思います。そこで大切なのは新しい感性、新しい美意識なんです。財力にまかせてつくった金ピカなものを美しいと思うのか、あるいは人々が長い時間をかけて伝えてきた伝統工芸や田んぼや里山の風景を美しいと思うのか。自然の海岸を美しいと思うのか、テトラポットの並んだコンクリートで固められた海岸を美しいと思うのか。キャンドルナイトも美意識の問題ですね。キャンドルの灯りをみんなで囲む、それが美しいと思えればそれでいいのです。もうそこで何かすごいことが始まっているはず。」
Q. キャンドルナイトのコンセプトにある、『新しい文化』とはどんな文化ですか?
「アインシュタインがこう言ったそうです。ある問題を引き起こしたマインドセットのままで、その問題を解決することはできない。マインドセットとは、考え方、態度、心の習慣、価値観、つまり、まとめていえば文化のことなんですね。これまで、環境運動や平和運動など、ぼくたちの社会が抱えている諸問題に対処するためのいろんな活動があって、それらは確かに大切な役割を果たしてきたわけだけど、やっぱりどれもみな対症療法の域にとどまっていたんだと思うんです。例えば、平和活動をしている人が意外と環境問題に関心がなかったり、環境問題に熱心な活動家が9条のこと知らなかったり、ということがよくありました。この1年ほど、日本でも急に地球温暖化の問題に関心が集まって、それはそれで悪いことじゃないけど、石油の代わりに原子力とか、ガソリンの代わりにバイオエタノール、あるいは二酸化炭素を地中深く埋め込めばいいとかという議論を見ていると、ああ、やっぱりどれもこれまでと同じマインドセットのままで、やれ咳止めだ、やれ熱さましだ、やれ包帯だ、痛み止めだって言っている感じですね。必要なのは、マインドセットの転換、つまり、新しい文化の創造だと思います。それを担う人たちやムーブメントのことを英語で『カルチャー・クリエイティブ』と呼ぶんですけど、キャンドルナイトはそのひとつだとぼくは思ってます。」
Q. キャンドルナイトは、『新しい文化』として定着している実感はありますか。
「草の根のレベルで新しい価値観を持った新しい生き方をしている人が増えてきました。僕はここ数年、いろんな場所でカルチャー・クリエイティブな人たちに出会う機会が多くなりました。確実に変わってきていると思います。学生たちの好みも変わってきた。土くさいもの、手づくりのもの、ナチュラルなもの、シンプルな美しさ、大自然などに惹かれる、上の世代とは明らかにちがう感性をもった学生が増えました。"スローライフ"でも"ロハス"でもいいし、『カルチャー・クリエイティブ』と言ってもいい。レジのプラスチック袋を削減するためにハチドリキャンペーンを展開し始めた西友では、顧客のうちの1/3が、『待ってました、もっとやりましょう』という人たち。1/3は『ま、やってみてもいいんじゃない』という感じ。あとの1/3は『面倒くさい』、とか『なんで無料じゃなくなったの?』といった否定的な態度なんだそうです。2000年にアメリカで出た『カルチャー・クリエィティブ』という本では、アメリカ人の1/3が、これまで主流だった近代主義とも、それに対抗する伝統主義とも明らかに違う価値観をもった人々で、それを『カルチャー・クリエィティブ』と呼んだわけですが、西友の話を聞いたら同じ3分の1だというので、ビックリした。新しい価値観に基づいて生き始めた人たちの中で、もしかしたらキャンドルナイトは、ひとつのお祭りのような感じになりつつあるかもしれない。これが、一つの習慣、一つの合言葉、ひとつのしぐさとして、つまり新しい文化の一部として定着していけばいいな。」
Q. 今後、社会で求められていくリーダーシップとはどんなものだと考えられますか。
「今はまだ、大企業や政府のおかげで生きているという感覚が生きているでしょう。そう思わされてきたわけだけど、もうそろそろ、自分たち自身がリーダーだと思ったほうがいいと思います。そんなに、あっという間に世の中が変わるとは思わないけど、できるところから自分の周りに変化をつくっていく。他人を変えることはできなくても、少なくとも自分が変わっていくことは可能です。ぼくたちが今歴史的な分かれ道に立っている事は多くの人が感じているんだと思います。大変革が起こるまで待つ必要はない。自分で歩き始めちゃえばいい。その上で、政治家を志してもいいし、ロビイングをしてもいいし、ビジネスを起こしてもいいし、就職してすでにあるビジネスを変えていってもいいのです。それぞれ文脈の中で個人ができることをしていくことだと思います。」
Q. キャンドルナイトに参加する人たちに求められることは何ですか。
「何もないです。参加というと、イベントがすでにあってそこに参加していくという感じがしますが、一人一人がそれぞれのやりかたで創る、というのがキャンドルナイトの原点ですね。ただそのうちに、この人たちと一緒にやってみたいなぁとか、パーティをやりたいとか、コンサートをやろうということになってもいいし、家族とやっても、ひとりでやってもいい。だから別に参加しなくてもいい。夏至と冬至はみんながやるから、私は普段の生活でひっそりやります、というのでもいい。やりたいときに自分のスタイルでやればいいのです。資格もいらない。でんきを消してスローな夜を。ただそれだけですよ。」
キャンドルナイトはすべてのエコ行動の象徴的な言い方ですよね。生協パルシステム茨城では12月16日キャンドルナイトに参加しようと呼びかける映画「不都合な真実」上映と石けん講座・リサイクルの展示など「エコ」が集います。
一人ひとりが自分なら何から始めようかなと考えて、発表して、わいわいにぎやかに井戸端会議したいと思っています。
HAD not been in Tahiti long just before I met Captain Nichols. He came in one particular morning when I was possessing breakfast on the terrace of the hotel and introduced himself. He had heard that I was considering Charles Strickland, and announced that he was come to have a speak about him. They may be as fond of gossip in Tahiti as in an English village, and one particular or two enquiries I had produced for photos by Strickland had been quickly spread. I asked the stranger if he had breakfasted.